三鷹市の三鷹台駅近くにあるピアノ教室です。

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ウィーン滞在記⑦

2014年4月9日 水曜日

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⑦ヨハネス・クロプフィッチ教授


 今回の滞在で私がレッスンをお願いしたのは、

ウィーン市立音楽院教授のクロプフィッチ先生でした。

御年53歳。オーストリア人で私の母校・ウィーン国立音楽大学の

卒業生でいらっしゃいます。20歳の頃、プライベートでレッスンを

お願いしていた故ハンス・グラーフ教授のアシスタントもされており、

また、私の恩師・原佳大先生のクラスメイトでもあったということを

お聞きしていたため、今回、是非シューベルトのレッスンをお願い

したい!と思いました。レッスンの準備が間に合っているとは言えない

状態ではありましたが(-_-)、ありがたくも大変高い評価を頂戴し、

丁寧且つ有意義なレッスンをしてくださいました。3回のレッスンは

とても楽しくて、あっという間でした。 先生は妹さん、弟さんと共に

結成したピアノトリオ「Jess Trio」(HP:http://www.jess-trio-wien.at/)

の演奏活動や音楽院でのレッスン、管理職としての仕事で大変

お忙しい生活のなか、毎日の練習(最低2時間)は欠かさず!、

4人のお子さんも立派に育てていらっしゃいます。

一番上の息子さんはヴァイオリニストで、若干16歳にして

ORFオーケストラのコンサートマスターをされているとか!!

まぁ、日本ではそういうことは許されないとは思いますが、

オーストリアではそうやって才能ある若者を育てて行くんですね。

真ん中のお嬢さん二人はチェロとピアノだったかな?

末っ子のヤコブ君には、偶然演奏会でお会いしました。

まだ8歳ということでしたが、きりっとしていてお行儀良く演奏に

耳を傾けていました。ヤコブ君はこれまた才能あるピアニストのようで、

ベーゼンドルファー社主催のコンサートに出演したりしている

そうです。可愛い顔写真入りのパンフレットをいただきました(^^)

今や音楽家一族となっておられますが、先生のご両親は法律家

だったそう。長男である先生は、法律を勉強することを強いられ、

ウィーン大学で法学の博士号を取得されたものの、

最終的には音楽家としての道を選ばれたそうです。

何処も長男は大変ですね~。

他にも、別荘のお話や趣味のワイン作りのお話などお聞きしましたが、

どれもため息の出るような話ばかりでした~。

ウィーン滞在記⑥

2014年4月8日 火曜日

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⑥ベルヴェデーレ宮殿


 ベルヴェデーレ宮殿内は美術館になっていて、

クリムトやシーレの絵を見に行きました。

こちらは4区にあり、私達が滞在していたアパートから近かったです。

内部は昔とはだいぶ変わったようで、近代的な雰囲気に

なっていました。クリムトの絵も昔はもっと間近に見ることができた

ように思うんですが、今はガラス越しにしか見られないんですね(-_-)

なんだかがっかりしてしまいましたが、玄関に飾る絵を一つ購入して、

外へ。ここは上宮と下宮の間が広くて良い眺めです。

散歩後は、夜のバレエ(白鳥の湖)に備えてアパートに戻りました。

ウィーン滞在記⑤

2014年4月8日 火曜日
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⑤中央墓地


ベートーヴェンのお墓も絶対にはずせないという娘の希望で

中央墓地へ。市電71でリンクから行くこともできますが、

時間がかかるので、途中まではU3(地下鉄)で行きました。

この日も天気が良くて、なにより暖かかったのが幸いでした。

何せ広々しているので、寒い日に行くと辛い場所です(^^;)

広い中央墓地ですが、作曲家のお墓はまとめて配置して

くれているので助かります。周りには小花が咲いていて、

まるで公園のような明るい雰囲気です。ここには、モーツァルト、

ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ヴォルフ、ブルックナー

などの超有名な作曲家の他、ヨハン・シュトラウス父子やヨーゼフ・

ランナーなどウィンナワルツの本家達のお墓もあります。

ここも、24年前に訪れた時は感激したな~。

何せ日本の高校生だった私にとっては、楽譜の中で見る名前

くらいにしか思っていなかったので・・・。

上の写真はブラームスのお墓です。

ウィーン滞在記④

2014年4月8日 火曜日
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④ベートーヴェンの遺書の家


 今回のウィーン滞在で、娘がどうしても行きたいと言ったのは

ベートーヴェンゆかりの場所でした。 私は毎日の練習と1週間に

3回行われるレッスンでかなり忙しかったので、すべてを廻るのは

無理でしたが、19区の美しい景色を見せずに帰るわけには

いかないということで、この日は「遺書の家」へ。

ホイリゲ街で有名なグリンツィング近くに住む友人を訪ねた足で

向かいました。今年のウィーンは暖冬だったそうで、3月でも薄い

上着で充分でした。一足早く訪れた春らしく、若葉が美しかった。

グリンツィングからバスに乗り換えて4つほどの停留所で下車し、

徒歩で遺書の家へ向かう途中、Beethovengang(ベートーヴェンの

小径)で記念撮影しました。上の写真です。

遺書の家は24年前、私が初めて訪れた時とほとんど変わって

いないようでした(私の記憶が確かであれば・・・ですが(^^;)

中庭のある小さな普通のアパートで、バス通りから少し奥に入った

所なので静かです。娘はデスマスクの小ささに驚いていました。

たしかに、ベートーヴェンさんは意外なほど小さなお顔です。

夏の間、この静かな場所でさまざまな作品を書いたんだな~と

思いながら、外へ。もう一つ行かなければならないのが散歩径です。

小川を眺めながら少し歩きました。あんまり歩くと大変かな?

そろそろバス停に向かおうかと思ったあたりに遊具のある公園が

ありました。娘はすごい勢いで走って行き、しばらくの間狂ったように

遊んでいました(笑)。地元の子供達も来ていたので、

言葉は発しませんでしたが、一緒にシーソーに乗ったりして、

国際交流(?)していました(^^)


ウィーン滞在記③

2014年4月8日 火曜日
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③ウィーン楽友協会資料室


 ウィーン楽友協会資料室室長のオットー・ビーバ先生の

レクチャーを受けてきました。エレベーターで上の階へ向かい、

一般人は立ち入りできない場所へ。 今回、私が10年ぶりに参加

したウィーン・メロス音楽セミナーは開講して15年ほどになりますが、

こちらでレクチャーを開くのは2度目とのことでした。 その記念すべき

2度目に遭遇することができたのは幸運でした。

 ビーバ先生が私達に見せてくださったのは、なんと!モーツァルト、

ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスの自筆譜です。

白い手袋をはめ、箱からうやうやしく出されるものの、

ガラスケース越しではなく、目の前にあるのはまさに本物!

先生は、モーツァルトから順番に譜面を見ながら、

作曲家それぞれの作曲のプロセスを説明してくださいました。

 中でもおもしろかったのは、シューベルトの譜面です。

彼の死後、友人達が自筆譜を少しでも欲しいと言い、

なんと!譜面を切り刻んで1片ずつ分け合ったといいます。

そのばらばらになった譜面のかけらを、楽友協会では、

これまで地道に収集してきたとか・・・。一番最近見つかった1片は、

オークションにかけられたそうですが、かなりの高値をふっかけられ、

それでもやむなく、ビーバ先生の前任者の方が競り落としたそうです。

楽譜を読む上で大事なのは、残すところあと1片だそうで、

先生は今も、その1片を手にした人が楽友協会を訪れてくれることを

願っているそうです。 まったく気の遠くなるようなお話でした。

ウィーン滞在記②

2014年4月7日 月曜日
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②キッズコンサート


 今年はちょうどウィーン楽友協会の地下ホール創設10周年記念

でした。 私が留学していた当初にはなかった地下ホール、

イベント会場がいくつかできていて、さまざまな催しをしている

ようです。

 今回は、日曜日の午前中に開催していたキッズコンサートに

出かけてきました。 ケーキ付きコンサート"Kling Klang"です。

こちらはピアノ・バイオリン・ファゴットという珍しい楽器の組み合わせ。

モーツァルトの姉ナンネルが出てきて、進行をつとめていました。

パーティーをしていたら、いろいろな人からプレゼントが届くという

ストーリーです。中でもおもしろかったのはハイドンからのプレゼント

だという「かつら」。 当時はかつらをかぶるのが習慣でしたが、

かつらをかぶって演奏するのは暑いのよね~、ふーふー、

それに頭がかゆいわ~、なんていうのを皆で歌いました(笑)。

小さな楽器が皆に配られ(私達は、木片にビール瓶の蓋が

取り付けられた楽器(?)でした。 ジャラジャラ鳴らしながら、

トルコ行進曲(ベートーヴェン)のピアノ演奏に合わせたのも

楽しかったです。

あの「前打音」がどういう音なのか、皆よくわかったことでしょう!

春のコンサート<連弾と合奏の会>

2014年4月7日 月曜日
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4月6日(日)


 4月だというのに寒い1日でしたね~。

大盛況の中、春のコンサート終了しました。

想像以上の多くのお客様に恵まれ、急遽椅子の追加を2度

行い、なんとか収まりましたが危なかったです(^^;)

  演奏の方は、前日の練習で何度もズレズレになってしまった

6手連弾もなんとか無事に済み、ホッとしています。

今回、新1年生以上は子供達同士の連弾に挑戦したため、

事前の合わせ練習ではかなり冷や汗をかきましたが、

本番での子供達の底力には驚きました。

ソロとは違う難しさ、そして楽しさを実感してもらえたかな?

今週のレッスンはお休みですが、また来週から基礎レッスン、

そして9月の発表会に向けて準備していきましょう。

保護者の皆様も大変お疲れ様でした。

 最後になりましたが、写真はプレゼント会の様子です。

中学生までの子供対象に行いました。大人の生徒さんには

個別に指導者が選んだプレゼントをお渡ししました。


ウィーン滞在記①

2014年4月2日 水曜日
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 3月21日から10日間、ウィーンに滞在してきました。

滞在中に経験したことをいくつか書き留めておこうと

思います。

①「シェーンブルン宮殿 子供ミュージアム」

シェーンブルン宮殿「子供ミュージアム」のガイドツアーに

参加しました。 このツアーの参加対象年齢は6才以上。

予約制となっているため、日本にいるうちにネット予約をして

おきました。 15時~のツアーに参加していたのは、

オーストリア人の姉弟とウチの娘だけ。 当然ではありますが、

説明はすべてドイツ語だったので、娘には私が通訳をしながらの

参加となりました。 今回のテーマは、ハプスブルグ家の師弟が

当時どのような生活を送っていたのかを知るというもので、

まずはシェーンブルン宮殿の模型を眺めながら、

ガイドさんの説明を聞きました。 全体の部屋数が307(!)あり、

王家の子供たちは各自、自分の部屋を5~6個所有していた

そうです。 次は、マリアテレジア女帝の子供たちのお話。

マリアテレジア女帝には16人の子供がいました。

子供たちの中でも有名なのは、フランス王室に嫁いだ悲劇のお后

マリー・アントワネットですね。 彼女もそうですが、他の王女も

ほとんどがマリア・***という名前なんですね。

これは、厳格なカトリック教徒であったハプスブルグ家の習わしで、

子供たちの名前の初めに、キリスト教の聖人の名前を使ったため

だそうです。 特に、女性の聖人は少ないため、聖母マリアの名前が

多用されました。

 次は、マリア・テレジア女帝とその夫フランツ1世とその子供たちの

肖像画の前へ。 床に描かれた星の上に立つ若い王子は皇太子。

一家の中でもっとも大切な存在であることを示しているんだとか。

他に、身分の高い人を示す赤い色がどのように絵の中に

使われているかを見ていきました。 赤は、マリア・テレジアのマント、

そして、フランツ1世と皇太子の靴の「かかと」に使われていました。

「かかと」とはおもしろい発想ですね~。

絵を見ながら、描かれている動物についてのお話もありました。

猿と犬(今は絶滅してしまった種だそう)が描かれていて、

いろいろな物を収集するのが好きだったフランツ1世の希望で

描かれたそうです。 王家の繁栄を強調する意味もあった

と言われています。 絵の中には、ベビーカーのような乗り物に

乗っている幼児がいて、頭が黒いことにも注目しました。

この黒い物はヘルメットのような物で、幼子の頭を守るために

かぶらせていたとか。 少し大きな王女の背中にはリボンのような

物がつながれていました。 これは、迷子にならないように使用

されていたようです。 ヨーロッパでは、博物館などの広い場所で

紐につながれた子供を見かけますが、今も昔も同じなんですね~。

 続いて子供部屋へ。 壁の全面に、海と森林が広がる風景が

描かれていました。まるで南国に来たかのような気持ちにさせる

ほど見事な絵でした。部屋の中にあるベッドは、エリザベート王妃の

娘・ギーゼラが実際に使っていた物だとか。

その隣にある部屋には、王家の子女が使っていた勉強道具が

置いてありました。 子供には変化に富んだ教育をほどこさなければ

ならないとするマリア・テレジア女帝の意向に添い、

教育にあたってさまざまな工夫がなされていたそうです。

王家の子供達の1日は、7:30起床に始まり、家庭教師による

マンツーマンの勉強が午前、午後に渡り続けられました。

教育内容は、特に語学、芸術、科学の3本柱に重点を置いて

行われました。 政略結婚により帝国の規模を広げていった

ハプスブルグ家の子女が周辺国に嫁いで行く日は遠くなく、

特に語学教育は大事だったそうです。

教育はすべて家庭教師が行い、学校で友達と遊ぶこともできず、

両親である王・王妃とはごくたまにしか面会できない

(同じ城に住んでいるのにも関わらず・・・)王家の子女達は

可哀想でしたね~などとガイドさんは話されていました。

 ガイドツアーの最後には、当時を再現した羽ペンで文字を書く

体験やドレス、かつら、手袋などを自由に試着するスペースで

記念撮影をしたりして、閉館時間を迎えました。


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