
3月21日から10日間、ウィーンに滞在してきました。
滞在中に経験したことをいくつか書き留めておこうと
思います。
①「シェーンブルン宮殿 子供ミュージアム」
シェーンブルン宮殿「子供ミュージアム」のガイドツアーに
参加しました。 このツアーの参加対象年齢は6才以上。
予約制となっているため、日本にいるうちにネット予約をして
おきました。 15時~のツアーに参加していたのは、
オーストリア人の姉弟とウチの娘だけ。 当然ではありますが、
説明はすべてドイツ語だったので、娘には私が通訳をしながらの
参加となりました。 今回のテーマは、ハプスブルグ家の師弟が
当時どのような生活を送っていたのかを知るというもので、
まずはシェーンブルン宮殿の模型を眺めながら、
ガイドさんの説明を聞きました。 全体の部屋数が307(!)あり、
王家の子供たちは各自、自分の部屋を5~6個所有していた
そうです。 次は、マリアテレジア女帝の子供たちのお話。
マリアテレジア女帝には16人の子供がいました。
子供たちの中でも有名なのは、フランス王室に嫁いだ悲劇のお后
マリー・アントワネットですね。 彼女もそうですが、他の王女も
ほとんどがマリア・***という名前なんですね。
これは、厳格なカトリック教徒であったハプスブルグ家の習わしで、
子供たちの名前の初めに、キリスト教の聖人の名前を使ったため
だそうです。 特に、女性の聖人は少ないため、聖母マリアの名前が
多用されました。
次は、マリア・テレジア女帝とその夫フランツ1世とその子供たちの
肖像画の前へ。 床に描かれた星の上に立つ若い王子は皇太子。
一家の中でもっとも大切な存在であることを示しているんだとか。
他に、身分の高い人を示す赤い色がどのように絵の中に
使われているかを見ていきました。 赤は、マリア・テレジアのマント、
そして、フランツ1世と皇太子の靴の「かかと」に使われていました。
「かかと」とはおもしろい発想ですね~。
絵を見ながら、描かれている動物についてのお話もありました。
猿と犬(今は絶滅してしまった種だそう)が描かれていて、
いろいろな物を収集するのが好きだったフランツ1世の希望で
描かれたそうです。 王家の繁栄を強調する意味もあった
と言われています。 絵の中には、ベビーカーのような乗り物に
乗っている幼児がいて、頭が黒いことにも注目しました。
この黒い物はヘルメットのような物で、幼子の頭を守るために
かぶらせていたとか。 少し大きな王女の背中にはリボンのような
物がつながれていました。 これは、迷子にならないように使用
されていたようです。 ヨーロッパでは、博物館などの広い場所で
紐につながれた子供を見かけますが、今も昔も同じなんですね~。
続いて子供部屋へ。 壁の全面に、海と森林が広がる風景が
描かれていました。まるで南国に来たかのような気持ちにさせる
ほど見事な絵でした。部屋の中にあるベッドは、エリザベート王妃の
娘・ギーゼラが実際に使っていた物だとか。
その隣にある部屋には、王家の子女が使っていた勉強道具が
置いてありました。 子供には変化に富んだ教育をほどこさなければ
ならないとするマリア・テレジア女帝の意向に添い、
教育にあたってさまざまな工夫がなされていたそうです。
王家の子供達の1日は、7:30起床に始まり、家庭教師による
マンツーマンの勉強が午前、午後に渡り続けられました。
教育内容は、特に語学、芸術、科学の3本柱に重点を置いて
行われました。 政略結婚により帝国の規模を広げていった
ハプスブルグ家の子女が周辺国に嫁いで行く日は遠くなく、
特に語学教育は大事だったそうです。
教育はすべて家庭教師が行い、学校で友達と遊ぶこともできず、
両親である王・王妃とはごくたまにしか面会できない
(同じ城に住んでいるのにも関わらず・・・)王家の子女達は
可哀想でしたね~などとガイドさんは話されていました。
ガイドツアーの最後には、当時を再現した羽ペンで文字を書く
体験やドレス、かつら、手袋などを自由に試着するスペースで
記念撮影をしたりして、閉館時間を迎えました。